犬儒のブログ

当事者のアマチュア文芸雑誌の編集顧問を務めています。『ノルウェイの森』の直子と同病の単純型統合失調症です。

椎名林檎「本能」が「理想を問いなおすかのようなパンクロック」に聴こえる?!

 右側の略歴で、「椎名林檎を偏愛する」と書きましたが、やや意味不明ですが、いわゆるお約束の事務所の方の代書の可能性などもありますが、ファンレターのご返事はいただいたことがあります。

 僕の予備知識?で聴くとなんかそう聞こえちゃうんですが、若いレビュアーの方、「パンクロック」も知らない世代だったりするんですが、僕の解釈のほうが的確だと思うんだけどなー?

 この一曲の評価で、椎名林檎観、全然変わってきますよねー。

 以下、アマゾンでのレビューの転載です。

 

 

 

5つ星のうち 5.0

理想を問いなおすかのようなパンクロック

2008/11/3

 By 犬儒 (北海道士別市農村部)

レビュー対象商品: 本能 (CD)

 一言だと「キリスト教にプロテストするかのようなパンクロック」。彼女と同郷の福永武彦の『草の花』の一シーンを連想する。
  ちなみに福音書ヨハネはギリシャ人だったというのが通説だが、「初めに言葉(ロゴス)ありき」なので、言葉は神~キリストの化身と見なされている。それを「どうして歴史の上に言葉が生まれたのか」なので、完璧です。
  「約束は要らないわ」、何回聴いても例えば結婚とかそんな生易しいことに聴こえない。これは神と人間との約束、つまり「理想」の事だと思う。
  ちょっと散文詩を書いてみました。↓

 

 人々は理性(ロゴス)をかざして進んできた筈だったのだけど、いつのまにかうまくいかなくなっていた。いつのことだかわからないのだけれど。
  理性には光があったはずだった。命があったはずだった。今でもそう思う。
  とにかく、どうしようもならないことは多いように感じてしまう。
  こんな筈じゃなかったと、時折叫びたいようにも思う。たしか、真実のようなことがどこかにあったように思う。でも、確信がなくなってしまった。
  陽の光は、はたして正義をもたらすのだろうか。憶えている事では、確か正義はもたらされるべきものだったと思う。
  ……すべてのことは、裁かれるべきだっただろうか。
  もしかすると、でも、自分の孤独のようなことに人との共感があるような気もする。
  それが正義ではなかったとしても。その孤独が報われず、人生が徒労に過ぎなくても。
  少なくとも私は、誰かが惨めに朽ちていくのをただ見過ごしたくない。
  そこには悲しみがあった筈だ。
  私は忘れたくないように思う。

 

  「虚(から)の真実」とは「悲しみ」だと思う。(ロゴス⇔パトス)
  2006年に椎名さんは『塩狩峠』(三浦綾子)の帯を担当したらしい。音楽も含め、最も影響を受けた芸術作品とのことでした。最終章で脚の悪いフィアンセが事故現場を訪れるシーンのある種の虚無感をちょっと連想する。
  現代が不条理性を増す中、愛は不可能なのか、みたいな「どうして」という問いのような。エロスはある種「死」を見ているものなのかもしれない。
  絶望の中での苦々しい反語のように聴こえる。強い願いがありながら、深い絶望からある種の拗ねで逆さのことを言っているのだと思う。彼女は約束や夜明けを希求していると推測する。
  人は理想と現実の狭間で生きる。理想を捨てられないからこそ人は苦々しくなる。例えばスプリングスティーンの"Born in the U.S.A."もそうだったと記憶している。どちらも誤解されやすい曲だろう。
  「あたしの衝動を 突き動かしてよ」、この曲全般に漂う重い疲労感を感じる。絶望、悲しみ、そういったネガティブな感情にもかかわらず彼女の深淵が僕を惹きつける。
  基本的にはくじけそうな理想への哀惜と、なおも「言葉」などを信じていきたいというの、絶望とないまぜになったような悲劇性のある曲調で、アレンジなども合っていると思います。
  日本の夜明けはまだ遠い。

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