椎名林檎「闇に降る雨」で画家ゴッホを連想しない??
なんかブログもまだ三日目で興奮気味であんまり睡眠できないようです。差し迫った症状はないので、そんなには絶対毎日薬を飲まないとやばいということはないんですが、睡眠障害は若いころから酷いです。
ええと、昨日書いた「椎名林檎「本能」が「理想を問い直すかのようなパンクロック」に聴こえる?!」という記事、不都合で「新着記事」の一覧に出なくて残念でしたが、今日は同じ『勝訴ストリップ』(椎名林檎2nd、2000)の「闇に降る雨」に関して。
昨日気になってグーグルで「"闇に降る雨" "向日葵" "ゴッホ"」って厳密検索したんですが、11件しかヒットせず。なんかひまわり関連の作品リストの他は、僕の文書だけでした。また俺が書かなきゃならないのかよー、とかめんどくさくもあるんですが、林檎さんがあまりにも可哀想なので。(?)
印象派の画家ヴィンセント・ヴァン・ゴッホですね。まあ、向日葵というと。生前全然絵が売れず、画商でもあった貧乏な弟のテオをパトロンにして生活してたわけですが、弟が結婚して子供も生まれたんですが、要するに食いぶちが足りない。駅で甥(赤ん坊)を見たゴッホは涙ぐんでいたそうです。
ちょっとまたホームページの方から、転載で申し訳ないんですが、
(以下、「掲示板選集」から転載)
ゴッホの手紙 テオ(弟)宛て 1889年3月19日 アルルにて
ほんの少し救われるのは、自分が「狂気」を、他の病気と変わらぬ一つの病気と考え、それをありのままに受け容れ始めていることだ。ところが発作を起こしているときは、自分が想像したものがすべて現実に思われたのだ。
たぶん精神分裂病だと思うのですが、ときおり調子が悪くなっても傍目には元気そうに見えたようです。
パトロンの、弟が結婚して子どもも生まれたので、負担になるのを恐れて、麦畑で拳銃で自殺しようとしたのですが、しっかり握っていなかったせいか、急所を外して二日ほど苦しんでから死んだようです。ポケットにあった遺書ですが、
ゴッホの手紙 テオ宛て 1890年 オヴェールにて
君に書きたいことは沢山あるが、書いてみたところで仕方がない気がする。……しかし弟よ、君にこれまでいつも言ってきたことだが、もう一度、全身全霊を傾けて真剣に言おう--僕は君を単なるコローの画商以上の存在だとみなしてきたし、君は僕を通して、いかに時代が変わろうと不動の価値をもつ何枚かの絵の制作に実際に参加したのだ。……
僕は自分の作品に命を賭け、そのために僕の理性はなかば崩壊してしまった--でも、それはかまわない。
(以上、『25人の画家 第11巻 ゴッホ』講談社、1980)
テオはゴッホの臨終に間に合い、見取ったそうですが、その後間もなくして精神錯乱に陥り、兄の後を追うように衰弱死したそうです。哀しすぎますね。
これを借りようと思ったのは椎名林檎さんの曲を聴いてでした。
「招きたくない
空々しい土の香や向日葵の
すぐにも迎う馨しい絵画と化する日など」
(「闇に降る雨」椎名林檎詞曲、 2ndアルバム『勝訴ストリップ』より)
(以上転載)
実は僕、嘘書いちゃったんですが、あとで確認したら、猟銃自殺でした。
ええと、「闇に降る雨」のプロモーションビデオで林檎さんが拳銃で自殺しようとするシーンがあって、それに引きずられてしまったようです。
曲はご存じの方も多いと思うのですが、260万枚以上売れたアルバムなので、中古安価に入手できると思います。
もうちょっと解説すると、まあ、ゴッホを愛しているのかどうかは分かりませんが、恋愛で、性別は違いますが、林檎さんはテオのような気持ちになっているわけですね。
テオも、ゴッホの絵が死後高く評価されるような事より、ゴッホに生き続けてくれることを願っていたのだと思います。
多分、こういうのは芸術的野心と強い愛情のある人なら共感できるんじゃないかと思います。そして強い葛藤ですね。
え、俺?
まあ、今回はこんなところで。
「本能」も、いわれてみればあんな感じもしません?
僕自身はポエムは書かないんですが、小説のバナーとかクリックしてくださっても嬉しいです。では『本格派「当事者」雑誌』をよろしくー!(爆)