犬儒のブログ

当事者のアマチュア文芸雑誌の編集顧問を務めています。『ノルウェイの森』の直子と同病の単純型統合失調症です。

当誌の看板小説の『落剥』(由名)のご紹介

 このブログ、『犬儒のHP~本格派「当事者」雑誌』のコンテンツのブログなわけなんですが、もう文芸同人誌(純文学?)に改装してから9年経ちますので、かなり作品が蓄積されました。

 最初の頃に収録させていただいた大きな作品なんですが、『落剥』という作品で、この作品が、当誌の求心力を作り上げたかと思います。

 あまり先入観をもたれないよう、「ご案内」でも内容のことは書いていないのですが、この小説に関して少し述べると、京都大学を卒業した女性がフリーター(スーパーのレジ係)になったのち統合失調症を発症するという筋になっています。

 これは由名さんの実体験によるものではなく、勉強して書かれたようですが、京都大学教育学部のあと、大阪大学臨床哲学の講座の修士課程を出られた方です。

 木村敏の講義を直接聞いたこともあるようです。

 患者が書いてもここまで表現できなかっただろうという迫真の作品になっています。

 100枚くらいの中編です。

 ホームページは、

 

http://homepage1.nifty.com/kenju/

犬儒のHP~本格派「当事者」雑誌

 

ですのでよろしくお願いします。

 とりあえず、短いものを読みたい方には、詩歌等もありますが、『犬儒の本』(犬儒)などもお勧めです。9作品、千文字以内のショートショートとなっています。

 いつも転載で申し訳ないですが、『落剥』の冒頭、ご紹介します。

 

 

 

 

落剥
              由名
            


                一

  「なにか」にならなければ、どうしてもなりたい、そうでなければきっと生きていけない。そう信じ込んでいたのは、物心ついてからずっとであった。
  小学校の高学年のときだ。私に舞い降りてきた幾つめかの天職は、婦人警官だった。未来の彼女は、ガードレールをひらりと乗り越えられないといけないのだ。意気込んだ私は、日々その練習に励んでいた。
  おかしな子どもだったに違いない。どうしてまた、小学生の時分から、将来の婦人警官業務にそなえてガードレールを乗り越える練習に励む必要があるのだろう? 私には、友達と遊ぶことよりもずっと、将来の職業に向かって邁進することのほうが大事だった。いや、友達は、いなかった。誰にも理解されることのない練習の時間、それすらも私を見捨ててしまったら、その時点で私のなにもかもが終わって、すくなくともどこか破綻してしまっていただろう。
  小さな子どもに、精神的な、あるいは生活の破綻という事態が起こるのかどうかわからないが、それでも思い返すに、私はいつも張り詰めた弦がこすられて、なにかの拍子にガツンと切れそうになる危機感を自分に対してもっていた。自分という存在は、いつ壊れてもおかしくないように思えた。ガードレールの練習の日々のように、細い一本の道にもし掴まることができるなら、ほかのすべての道を捨て去ることもまったく躊躇しないほど、私にはなにかにしがみついていることが大事だったのだろう。
  なにもしがみつくものがなくなったとき。そのとき、子どものころの私ともっと違う私であったなら、ひょっとすると多くの人が取っているようなゆるやかな航路、妥協になじんだ休息があったかもしれない。だが、私はあのころと、なにも変わってはいなかったのだ。
  
  
  大学を卒業すると、私は一歩も踏み出すところがなくなった。まるで空白なのである。
  ほんとうは、とても疲れていたのだろう。疲労は私の穏やかな感覚を冷酷にむしり取ろうとしていた。
  同級生の皆は、卒業するまでに、パズルをきちんとはめあわせるように、就職先、大学院、そして新しい住居を決めていた。私はそんなこと一切を、忘れていたわけではない。だが忘れていたとでもいわなければならないほど、私はそうしたことを横に感じながら、ただただキャンパスの中をひとりで歩きまわり、浮遊していたのだった。浮遊するだけで精一杯だった。その次の思考、その次の道、どうしてそんなものに私が踏み出せただろう? 
  大嫌いな、思い思いの衣裳ともおぼしき晴れやかな振袖やはかま姿の女性たちと、大学に数すくない彼女たちをエスコートする地味なスーツ姿の男性たちがあふれかえる卒業式が終わると、私は下宿にひとり、ぽつんと取り残されて座っていた。
  食べていかなければ。私は玄関のドアを残った力をすべてかけて押し開けて、マンションの階段を転がるように駆け下りて、郵便受けにしがみついた。求人広告が入っていないかと思ったのだ。だが、中から掴み出したのは、いつもどおりの風俗のピンクのチラシ、電気代の引き落とし通知書、そして枯れ葉が一枚。もうだめだと絶望して、その場に崩れ落ちたときが、私の長い「フリーター」生活の最初の日だったとは、そのときの私は予想していなかった。疲れに満ちた始まりだったと思う。
  小雨が降りつづくある平日、近くの大きなスーパーの入り口で、傘を袋に入れていた私は、ふっと目をあげて、スーパーの派手な広告をじっとながめた。私の気力の落ち込みと対照的に、そこでは生活感が強い力をはなっていた。私はなにか、この力にたよらなければ、もう明日にでもどんな行動をしでかすかわからない自分を感じていた。この力にたよるなんてことが、滑稽なことであったとしても、そうしなくてはならなかった。スーパーの透明のドアを通り抜けて中に入っていくと、一階は食料品売り場だ。上の階にまであがるゆとりもなかった私が、ここでなにをやろうというのだろう?
  私はずらりと並ぶレジを奥まで目でたどっていって、年配の、レジをはずれている制服の女性にかすれた声でたずねた。
 「あの、ここで、バイトは募集されてますか?」

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