犬儒のブログ

当事者のアマチュア文芸雑誌の編集顧問を務めています。『ノルウェイの森』の直子と同病の単純型統合失調症です。

茶番劇の精神科強制入院(『暁』より。やや創作)

     六

「本当は申請主義なんですが……」と新任のK医師は言う。「ビル管理の仕事で札幌移住とか考えておられるんですよね。また私生活面とか、苦労が大変だと思うんです」この医師に会うのは二回目だ。
「そうですね。まあ、食っていけないのでしょうがないのですが」
「農業は駄目ですか?」
「新卒のとき、面接で家は継がないでいいのか尋ねられたことがあるんですが、一言『儲かりませんから』と言った記憶はあります。適性を考えるとあまりないような気はしますね。体力がないというのが一番大きいです。昔から親も体力を養成するようなことを全然薦めなかったので、これはしょうがないと思います。野球のグローブすら買ってもらえませんでした。買う金もなかったかもしれません。まだ周りは景気も悪くない時代でしたから、昇り調子というか、まあ、そういうことも理解できるんですが、まあ、家庭教育の影響でつぶしが利かなくなっているということはあると思います。農作業はやってたんですが、もうちょっと遊ばないと基礎体力は付かなかったと思います」
「そうですか。ええと、役所のことですから申請主義なんですが、三障害のうちの一つの精神障害ということで、年金制度があります。厚生年金で月額五、六万円程度か、うまく行けばというか、認定されれば月額十一万円くらいの年金があたります。年金を受け取れる要件は満たしておられると思います」
「そうですか。東京に実家があるとかすると仕事があるのかも知れないのですが」実の所僕は幾分か疲れている。
「まあ、そうなんですが、またすぐ辞めても先方の会社に迷惑がかかることもあるかもしれませんから、再就職は焦らないでもいいかもしれません。難しい仕事をやっておられて、落差が大きいということだと最低賃金程度の収入になる障害二級が認められることも多いです。特に扶養家族がおられるかただと二級が当たっているケースは多いです」
「恋愛のトラブルは若干あったですが、まあ、ずっと独身ですね」
「まあ、二級はおおよそ初診時の家族構成で同じ級でも年金の額が決まるんですが。まあ、三級定額では精神分裂病で二回入院経験があるということだとまず確実に受給できます」医者が言うが、実の所入院処置はかなりいい加減だった。
「そうですか。会社の宴会で悪ふざけみたいなことをしたような印象もあるんですが、僕も調べてみたんですが、『離人感』という症状が延々と地元にいた時からあって、都会で悪化してたような印象があります。それで風景が暗く破滅に向かっているとでも言うんでしょうか、そういう風な感触も時折しました。それで能動的に活動とかしにくくなったりして。……これは精神分裂病だとも思うのですが、ご存知のように幻聴はないですね」
「幻聴は誰もがあるものではないです」医者が言う。「都会で非常に過敏になられていて、対人恐怖症的な治療も功を奏さなかったと思います。こういうのは」
「はい」
「ほんとうは相対的なことだというのが私の持論です。ヨーロッパの方で十九世紀くらいに精神分裂病という病気が社会で顕在化してきたときも都市化とか工業化ということが起こっていました。幻聴などの典型的な症状がある精神分裂病の問題も大きいんですが、まあ、運命でもないんですが、生育歴などで必然的に精神分裂病としか言えないという体調になるケースはありますね。私も田舎で医者をやっていますが、都会で酷く失敗したという方はおられます。にわかにはダメージからの回復は事実上不可能ということはありますね」
「そうですか。まあ、実の所満員電車だけでほとんど死んでいました」
ケースワーカーの方にも連絡しておきますが、障害年金の受給手続きをなさってもよいかと思います。農業のことはあまりわからないで申し訳ないんですが、野菜作りなどで幾分か家計の足しになったりしませんか?」
 別に、いつもヤブだとは思っていたのだが、医者が転勤で変わると随分態度が違う。
「若干ブラックリスト的な処遇をされるような危惧は持っているのですが」
「私も実は正確なことは把握していなくて申し訳ないのですが、顔見知りの人の信用で仕事に就いているような方もおられます。実の所、どうしようもなく傲慢な性格の方とかおられるんですね。それで周りが厄介でそういう方が強制入院処置になった後、治療をしていたら副作用で変になってしまったけど、傲慢な性格は相変わらずとか、そういうケースが旧来あって処遇困難の患者になっているようなケースもありますが、最近は社会の豊かさもあるし、そういう方も家などにおられたりします。『精神分裂病』という病名が適切なのかわかりませんが、まあとにかく病院にもおられるんです。一般の方でそういう事例とやはり謙虚な方の区別の出来ない場合もあるんですが、啓蒙も進んでいますし、昔よりはそんなに今は偏見は強くないと思います」
「そうですか。まあ、……確かにちょっと『時間』は欲しいですね」
「実は以前のカルテを読んだんですが、三枝さんが大卒だともなんとも書いていなくて、どういう診察が行われたのか、よくわからないといえばわからないのですが、前回うかがいましたが、F社のソフトウェア開発部門で働いておられたんですよね」
「そうです。まあ、大量に新卒者を採用している会社ではありますが」
「かなり難しい仕事だったと思います。ただ、カルテには『少年期より知的能力が低く誇大癖があり』とか書いてありまして、事実関係を確認したのですが、なにか誤解を招くような経緯でもあったのかと思いまして」
「僕も短気なほうなんで、T先生とはほとんどまともな会話になりませんでした。たしか親父が『どうせこいつなんか昔からバスに遅れたとかいったら戻ってきて』とかT先生に僕のことを説明していました。そしたらT先生はあとで『君は昔から反社会的な性格だったのだ』とか言ってたんですが、学校のレベルが低いので、そこに適応するというより、独学の要素が強くて学校は軽視していたのですね。親父にしろ、僕がいないときに、他、T先生にどう説明したか感知していません」
「そうですか。『どうせこいつなんか』……」K医師は納得がいかないようだった。「お父様があなたに嫉妬しておられるとか憎んでおられるようなこととかあるんでしょうかね。よくわかりませんね」
「僕もよくわかりませんね」
「それで任意入院ということになっていますが、実の所お父様のご意向で強制入院処置になったのですよね」
「ええ実は、お金がなくて就職してから自動車運転免許を取りに行ったのですが、過労か何かで仮免学科試験を半年で取れずに、人事があわてて田舎から父を呼んだんですが、私事で『首』に出来ませんから、遅刻が多いとか難癖を付けて休職処置にしたんですね。親父はあとで『怠けていたので懲罰で入院させた』とかとんでもないことを言っていました。怠けて自分の稼いだ金で運転免許を取らないやつがどこにいますかね。人事は自動車学校退学のことは親父に言ってなかったようです」
「『怠けていたので懲罰で入院させた』ですか。精神分裂病の『陰性症状』か過労に近いものだったでしょうね。T先生やお父様の考えておられる『病気』と、三枝さんの病気の認識がある種の二重帳簿状態になっていたかもしれませんね」
「なるほど」僕は二重帳簿の事を少し考える。「それにしても親父というと昔から仕事に疲れて家にいると思ったら酒飲んでて、口より先に手が出てくるような感じで、ちょっと火遊びしたというので縄で縛られて納屋に放り込まれたりとかしましたね。なんか『首になった』というのでそのつもりでまた『手』が出てきたんじゃないですかね」
「最近、都市部でもしつけの名を借りた児童虐待というのが問題になっているんですが、ほとんどそうですね」
「田舎には昔からあったことだと思います。僕もそれほど根には持っていません」
「憎んではいないのかな」K医師はちょっと考え込む。
「親父もそんなに根が深くて暴力を振るったわけではないでしょう」
「そういう教育も昔はあったんでしょうかね」
「僕はデフォルトで成績が優秀だったようで、勉強しろとかほとんど言われたことがなかったんですが、他所の家の苦労とかあんまり身につまされるようなことがなかったじゃないでしょうか。親父は戦中とかにまったくスポーツですとか出来ない状況で農業を始めたので、僕も特に運動とかしなくても農業が出来るから大丈夫だと思ったのかもしれません。農業の手伝いは随分したつもりなんですが、水中眼鏡も新しいスキー板もグローブもサッカーボールも、何も与えてもらえませんでした。小学生のときからスコップとか使ってたんですが、かえって体を動かすのが嫌いになりました。大学で学費がかかって農業の他に建設会社などにも働きに行かざるを得なかったので、父も恩に着せたいと思うんですが、たとえば高卒でも公務員になれるとか、進路のこととかまったく心配してくれないで、それどころか子供の頃から教育のことをまったく考えてもらえないで高校主席で大学に進学しただけで恨まれるのも困りますね」
「高校主席なんですか」
共通一次試験が八九〇点くらいでした」
「こんな田舎でですか、すごい!」K医師は急にびっくりしたようだ。表情が変わる。
「先生も共通一次試験受けられましたか?」
「札幌で塾とか予備校に行きましたが、それより低い点数でした」
「小学生の頃一回親にそろばん塾に行かないか薦められたことがあるんですが、家計を気にして行かないと言ったら、『経理の仕事ができなくなる』ともなんとも説得されないでそれっきりになりました。高度経済成長期くらいのことかなあ」
「大学受験とか、独学ですか? 随分高校の勉強と様相が違うと思うんですが」
「まあ、O社のラジオ講座とか聴いてましたが。まあ、国立大学だけでもいろいろあるし、落ちるところを受けなければいいだけの話です」
「まあ、医者もまあ、特殊といえば特殊な職業ですからね。まあ、就職のポイントで勝負をかけましたか」
「いや、大学ではさっぱりやる気をなくして、やっと卒業できました。霞ヶ関のキャリア組みとか狙えとか言われてもしらけてたでしょうね。そんな事いう人物は周りにいなかったんですが」
「高校までのモチベーションはどうなってしまったんですか?」
「いえまあ、昔からやりたいことをやっていただけかなあ。やりたい職業のビジョンがなくて困ったかな。時間が欲しくて進学したようなもので、それで大学以降うまく行かなかったのだと思います。働いている自分を想像したこともなかったな」
「ビジョンがなくて勉強なさったのですか」
「まあ、クイズみたいで面白かったからかなあ。自動車を運転している自分を想像したこともなかったです」
「それだけ農業などの生活が不毛だったということなんでしょうかね」
「そうですね。高校で喫茶店に行ったこともなかったです」
「そういうのが貧困ということなんでしょうかね。私もあらためて考え直さなければいけないかもしれない」
「親父はまあ、僕を憎む権利があるんでしょうかね」
「お父様には、あなたより医者の方が偉く見えるんでしょうね。まあ、考えられるのは、私は嫌いなタイプなんですが、権威主義で医者にはいい顔をしても、身内の人をこき下ろしているような人もいます。お父様の意識が低いというようなこともあったかもしれませんね。なにか『言いつけてやる』みたいな感じとでもいいましょうか」
「そういうことはありますね。親父の弁護をするつもりはないですね」
「たとえばフロイトの時代に社会的に問題になったのは、子供が親より能力が低いというケースでエディプスコンプレックスとか提唱されたんですが、日本は経済発展とかしていて、成熟した社会ではないので、どちらかというと特に農村部では昔ながらのような父親が娘を愛して息子を憎むような現象の方が目立ちます。あ、余計な話をしてしまいました」
「いえまあ、『すっぱい葡萄』とか学校で習いました」
「周りの社会をよく観察しないで輸入概念だけ導入するというのは危険ですね。当時のオーストリアの社会のことも調べる必要などもあります」
「まあ、そうですね。それにしても診断とか雑だったと思います」
「まあ、実の所私は物事をあやふやにしなければならない立場なんですが、まあ、あからさまな事実誤認から生じた診立て違いなら修正しなければなりません。まあ、お父様が『謙虚』のつもりで言ったことがT先生の診立て違いを招いたようなことはあったかもしれませんね」
「まあ、身内をこき下ろして謙虚ならば謙虚なのかも知れません。連帯責任のような意識がないですね。昔から家庭教育で向き合ってこなかったので僕のことに関して語る言葉を持てないでいて、自分自身に関しては正当化したいということなんでしょうね。それにしても僕が精神障害ということは変わらないんでしょうか」
「回想のプリントアウトも読ませていただきましたが、精神分裂病という病気もやはりそうだとも思うのですが、特殊学級出身の方が家庭で『切れた』ようなケースでも医師によっては『精神分裂病』という病名を用いたりもするのですが、と言いますか、とにかく病院におられたりするんですが、三枝さんは本物の精神分裂病ですね。こんなことを言うと失礼のようにも思うんですが」
「なるほど」僕はちょっと考え込んでしまう。
「あと、一般論なのですが、傲慢な性格な方はしょうがありませんね。病的に傲慢な性格な方などもいます。人格障害というような区分もあるんですが、過度に卑屈になるというような『発病』をしたあと病院におられたりとか、医師によっては精神分裂病という病名にしているケースなどもあります」
「いるような気がします」僕も確かに病棟で見受けた。「自分の愚かさゆえに人が愚かだと思いこんで人を馬鹿にしたり偉ぶったりするような人がいますね」アルファベット二十六文字をノートに書いていた禍々しい目つきの老婆のことを思い出した。
「この前三枝さん言っておられましたが、まあ、『単純型精神分裂病』に近い病態だと思います。あとストレス反応とでも言いますか、学生運動の影響などもあったでしょうし、そういう目だった症状の発症だったと思います。話が長くなってしまいましたが、まあ、処方を少し修正しておきましたが、不眠の症状が酷いのでまあ、この処方で服薬してみてください」
「はい。まあ、学生運動の影響はありますね。解決の付かない問題に直面したような印象でした。行動がラジカルになります。というか、自暴自棄と言ったほうが近いでしょうか。昔のような焦燥感は減っているのですが」
「そうですか。まあ、あまり良い薬がないのですが、最近よく眠れておられるならスタミナも回復しておられると思います」
「そうですか……。最後に一つだけお伺いしたいのですが、先ほどの『切れる』というケースはなんなんですか?」
「障害を認定されていない知的障害圏内の人がなにかのきっかけで錯乱なさってそのあと医原性のショックで処遇困難になるようなケースもあります。適切な病名はないです。コミュニケーションができないので、なんともしようがありません。知的障害の年金が当たっていないケースが多いので所得保障の為に精神障害として区分するしかありません。ただしこれは私の持論です。知的障害者の年金の制度改革とか大事な気がするのですが、政治とか社会全般のことですので、なんともしようがありません。憲法第九条のようなことも世の中にはあります」
「そうですか。ありがとうございました」
 診察室を去ってケースワーカーと面談する。そのケースワーカーは以前「三枝君のような人には障害者年金はあたらないよ」などと言っていた。だいたい患者を君呼びするのもなんだが、ある看護士はこちらの話をすると「じゃあ、なんでプーなのよ」とか言っていた。入院患者のほとんどにはまともな職歴はない。
 病院全体が馬鹿田舎者を扱うようにシフトしている。農家出身のある若者は「暴れたので入院させられた」と言っていた。親曰く「やっぱり駄目だったか」てなところだろうか。困ったことに初診のT医師にはそういった例と僕を区別できるデータがなかったのだろう。実の所ほとんどまともな問診はなかった。どちらにお住まいですかと聞かれたら、「埼玉県」とか答えたんだが、親父が全部取り仕切ってしまった。当初親父に「休職した」と言ったら、「首にされた」と怒鳴っていたのだった。
 それにしても、病理が本で読んだ都会の例と違うイメージがある。田舎では高校中退で大検を受けて進学するもなどほとんど居ない。ひきこもりだか潜在的な知的障害だかよくわからない。病気ではなくても家庭内暴力などでも民法八二二条の教護院の代わりに精神科が利用される。極端に怠惰なケースの若い入院患者などもいた。
 市内の推定数百十五人の精神分裂病患者と発病の運命にある八十名が一生で一年間だけ入院するのなら、病床数は三床でいいはずだ。それが五十床以上くらいもある。生命保険で黒字になるような人も多数入院させていたのかもしれない。
 本当に病気の人は、小さな会社などに転職していてうまくやっているかもしれないなと思う。
 都会の壁は厚いというか、家族の病理だな、とふと思う。
 それにしても、と僕は思う。精神分裂病の人に所得保障するのではなく、所得保障したほうがいい人に精神分裂病という診断をするのかもしれない。ただ、医者はそうは公言しないだろうなと思う。

 

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