犬儒のブログ

当事者のアマチュア文芸雑誌の編集顧問を務めています。『ノルウェイの森』の直子と同病の単純型統合失調症です。

『本格派「当事者」雑誌』、「空の下で」(犬儒)のご紹介

 週末なので文学の話をしていますが、だんだんご紹介する物が無くなってきました。

 2005年から純文学同人誌やってますので、蓄積はかなりあるのですが。

 ええと、不肖私が創作3篇目として書いた「空の下で」ご紹介します。

 My Little Lover小林武史詞曲)の同名の曲にインスパイアされた書いたものです。

 大学生の初恋と(ポストモダン的?)自己発見の物語です。

 僕自身の話と随分違うんですが、まあ、こんなんだったら良かったかなあ、と思って書きました。

 お気に召しましたら、

犬儒のHP〜本格派「当事者」雑誌

の方から、お読みただければ。

 

(以下転載)

 

空の下で
               犬儒


      一

  大学二年で留年が決まったとき、僕は同級生の宴会でかえってあたかも喜ぶかのように、周りの辛気臭いような留年生の周りで奇声を上げていた。高校卒業から就職まで一年も遅れられないと思っていたのに緊張の糸が切れてやけが落胆を超えていた。
  あの頃自分の心は空っぽだったと思う。大事なことは夢を見つけてそれに向かって邁進するようなことだったかもしれない。夢の代わりに僕の心を占めていたものは「流浪」とでも表現できそうな将来への不安と受動的な構えだった。それは今ではどうなのだろう。
  大学入試のときは、浪人する可能性を想定されないような志望先を選んでとっとと進学した。高校の模擬試験の判定はずっとA判定だった。田舎の教師も別に志望校のレベルを上げろともなんとも言わなかった。後期日程で、道内の田舎の工業大学の情報工学科を選んで札幌市にあるH大の理学部数学科に受験し合格した。
  センター試験で社会科の「政治経済」の科目が九十九点だった。間違えた問題は十数年たった今でも覚えている。
  義理の父は政治家だった。
  政治家と言っても、道北の弥果(いやはて)市で市会議員をやっているだけだが、どうも義父に迷惑をかけないようにと思って子供の頃から気張って勉学していたことが大学入試で拍子抜けしたようなこともあった。例えば東京大学を卒業したとしても進路はさほど変わらないかもしれないとも思うが、浪人を恐れて入学先のレベルを下げざるを得なかったことは少し僕の、なんというか、喜びのような感情を若い頃に奪っていた。テレビニュースで大学合格者が胴上げされて喜んでいるような報道を観ると、疎外感を感じずにはいられなかった。
  まあ、数学は好きだったのだが、どうもキャンパスの様子には慣れられなかった。周りが喜びの春のようなことを謳歌している間、僕はどの講師が鬼で単位をくれなくて、どの講師が仏で単位を取りやすいかとか、大学内の怪情報などを気にせず、適当というか、趣くまま講義を履修していた。
  二年のとき、必修科目の第二外国語の中国語の単位を取れなかった。
  僕は少し流されていた。
  というか、引きずられて勉強していた。
  僕は自分が例えばガウスのような天才ではないことは彼の理論を学んでわかっていた。それはしょうがないとして、大学レベルの数学の基本的なことからして押さえられていないような手ごたえしかなかった。
  ただ、単位が取れなかったのは中国語で、わけもわからず、クラス内で回っていた過去問題の模範解答のコピーを暗記して解いた解析学等必修科目は受かっていた。
  中国語の履修者はクラスでは少なめだったが、貿易などで深い関係があるので、将来のことも考えて中国語はある程度覚えておきたかったのだが、情報というか、コピー文書不足なども単位を取りにくくしたようだった。
  道路工事の交通整理から何から、アルバイトは何種類かやっていたが、まあ、留年が決まるとアルバイトを探しに市内の学生相談所に赴いた。
  実の所、僕には将来の夢はなかった。不思議といえば不思議かもしれないが、実のところ夢に向かって進むというよりも僕は"seed"だったと思う。数学が好きなので進学しただけで、社会の"needs"のことはよくわからなかった。というより、世の中にどんな多様な仕事があるのか、それも弥果の田舎ではわからなかった。
  何かをやりたいという気持はあった。
  果ては『サルでもわかる経済学』というような本からケインズ理論の新書から、やや政治系統の財政理論のような本まで、北区の寮で暇なときに読んでいた。テレビは持っていなかったが、やや戦中戦後のような時期の小説などを読んで娯楽にしていた。
  中学高校で部活動をしていなかったのだが、内気すぎる性格を矯正しようと思って大学ではボランティアのサークルに参加した。あまりにも家で一人で本を読んでいたような時期が長すぎたと思った。あまりよくわからないまま、先輩の指導で手話を少し覚えたりしていた。ただ、やはり引きずられていた感は否めなかった。どうも煮え切らない日々だった。
  学生相談所に赴いた僕に目に付いたのは川口商会という問屋の棚卸しのアルバイトだった。
  何の記載事項も無いような履歴書に、「得意科目 ラプラス変換、情報処理」とか、意味不明に取られそうな事を書いて応募したが、すぐさま採用されて、年度末の忙しいときにその問屋の仕事を手伝うことになった。
  実の所、僕は自分がやりたいことはなんなのかわからなくなっていた。挫折はあたかも死者が鞭打たれているような感すら僕に与えていた。
  寮に帰るとブラックニッカの水割りをちびちび飲みながら万年筆で日記を書いているような日々だった。

 

  ↓↓ まあ、芥川龍之介フランツ・カフカと同病の僕です。

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