犬儒のブログ

当事者のアマチュア文芸雑誌の編集顧問を務めています。『ノルウェイの森』の直子と同病の単純型統合失調症です。

村上春樹作品論4点検索1位なわけですが

 当ホームページで発表している村上春樹作品論が4点、ヤフー検索等で1位(「作品名+論」で検索)なわけですが、

 

羊をめぐる冒険』論(犬儒

ノルウェイの森』論(1位犬儒、2位谷口水夜)

海辺のカフカ』論(犬儒

1Q84』論(谷口水夜(鬼武彦))

 

となっています。

 まあ、アマチュアというか、日本の中央文壇なども注目している可能性もあります。

 新潮社の村上春樹先生担当の編集者の方には存在を連絡して読んでいただいたことがあります(羊、海カフ)。原稿送っても無駄だと思い、「企画のご提案」という文書を作って連絡を取りました。

 連絡取れた日には「犬儒のHP」のユニークアクセス数が60名増えました。

 あとおそらく、文学部文学科あたりだと思うのですが、去年の前半ですとか、大学から15アクセスありましたが、九州大学広島大学京都大学東京工業大学x4、早稲田大学x2、法政大学、関東学院大学東北大学x2、北海道大学北海道教育大学というアクセス元でした。

 その後、人気が僕の文芸評論から同人誌の方に移りつつあるようです。

 

 まだご紹介してなかったので、『羊をめぐる冒険』論から、冒頭の方ご紹介させてください。

犬儒のHP〜本格派「当事者」雑誌

より、

 

 

村上春樹著『羊をめぐる冒険』論
             北海道から見た日本近代

 

●北海道人

 僕は、一人の北海道人として、この論説を書きたいように思う。
  森鴎外の遺言を洒落ているわけではないが。

  彼は一個の石見人として死にたいと言ったそうな。
  ユーラシア大陸の東端にある、五つの大きな島からなる列島の一つの、本州島のその端っこの、山口県石見の国に、彼がどのような愛着を覚えていたかはわからない。ただ、封建社会における地方とは、今日の我々が考える以上の意味があったろう。
  外圧もあるし、日本は中央集権のまとまりのある国でなくてはならないと考えられたのが、明治来の政治などのポリシーだった。

  西洋の近代化がどうだったかとか、論察するとまた長くなるが、近代という主義には、自然などを、人間に対象化させ、自然を克服するというような世界観があったような気がする。
  自然科学、技術の発達により、人間個人が、それまでの農業など以上の力を、機械等の支配力によって持っただろう。そして、その大きなパワーは、統制されると、巨大な権力のうまみにつながることがわかった。

  だから、近代というのは、「戦い」の様相も変えたかもしれない。植民地主義帝国主義というのは、めちゃんこ簡単に言えば、外国に奴隷を持って、楽しよう、みたいな事だったと思う。そして、ヨーロッパなどの科学技術はそれを可能にした。

  アジアの中の、島国の日本は、こういった世界の趨勢を察知し、「奴隷」になりたくないと思ったようだ。
  それが結構うまくいって、日本は発達した。アジアの潜在的ポテンシャルが発現されたということかもしれない。

  日本の権力の機構とはやや離れた、北海道の日本国民は、権力の機構のおかげで、結構数奇な運命をたどったかもしれない。
  けっこう弄ばれた風でもあったかもしれない。

  僕は風に舞う木の葉としてではなくて、一応、人として、僕は北海道の運命を考えてみたいような気がする。

 


●群集の一人

 村上春樹氏は、1949年生まれ、団塊の世代より少しあとだ。
  つまらないこというと、さすがに大学卒のようだ。当初、国立大学に入るよう、親に言われていたようだが、一年浪人しても生物等さっぱりわからなかったとか。
  それで私立の早稲田大学の文学部に入ったようだが、本州の多くの人等、子供を私立大学にやる学資を負担できる程度の、日本の豊かさに1960年代くらいに、すでに、達していたということだとも思う。
  その程度の学力ならば、無論、地方の国立大学にも入れたかと思うのだが、時代の思潮として、東京で活躍するのがいい、東京で修行を積むのが良いというような考え方であったとも思う。
  父親は学校教師でそれくらいの負担は出来たようだ。

  日本が近代化して、世界大戦を経て、吉田ドクトリン風経済発展をして、都市的なような、国とか、自分達の統治機構にさほどの関心を持たないような大衆社会というか、都市的な文化はかなり発展していた。
  『風の歌を聴け』(1979)、『1973年のピンボール』(1980)を読んでも、何ら、大上段に、国家社会がどうの、というようなことは書いていない。

  ただ、春樹氏は、少年時代、中公文庫の『世界の歴史』を繰り返して何回も読んでいたそうだ。なので、さして受験勉強をしなくても、社会科の世界史とか、自分にとっては常識のようなものになっていたとか、エッセイで書いておられた。
  で、一年浪人して、一応格好を付けて(?)、でまあ、容易に三教科の試験項目のそこそこの私立大学に必然のように入学できた。

  つまらないことを書いたようでもあるが、大学受験がどうのこうの、ということは、読者諸兄(&姉)にとっては陳腐なことかもしれないが、日本が近代を経て、そういう時代に達していたということを、実例で書いてみた。

  日本という国が、官庁などの国の指導によらず、商業、通商貿易などの民間の力が、公の指導などを突破し、民間の「あきない」の「力への意思」が、「神の見えざる手」によって、この国に富をもたらしていたということでもあろう。

  春樹氏は、長編第三作目『羊をめぐる冒険』で、「世界史」にコミットする。その「世界史」の舞台は、不可思議な「北海道」という島だった。

 

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