犬儒のブログ

当事者のアマチュア文芸雑誌の編集顧問を務めています。『ノルウェイの森』の直子と同病の単純型統合失調症です。

自伝的恋愛小説『暁』より。14歳年下の恋人

 『落日』という小説でかなりフィクション作りこみましたが、そのまんま書いたのが『暁』でした。

 時制を現在形にするなど、やや無意味っぽい実験もしましたが、ビビッドな「茜ちゃん」の姿が脳裏に浮かぶようで、なかなかいいです。

 以前にも一部紹介しましたが、また一部転載します。

 

 

犬儒のHP〜本格派「当事者」雑誌

の、『暁』(犬儒)より。

 

 

 

 僕はあまりテレビを観る習慣はないが、病棟のホールのテレビは知的障害者にも思われるおじいさんが、意味わかるのかわからないのか、新聞も見ないでチャンネルを選んで、血走った目で見ていたりする。ニュース解説の単語の意味がわかるのだろうか、いぶかしまれる。
 僕の父親の世代でも、ニュースの意味がわからないでもNHKの難しい番組を観たりする習慣がある。
 血走った目の肩がいかったおじいさんは顔を前に突き出して、コマーシャルも食い入るように観る。
 別の、前入院したときにもいたおじいさんは顎をがくがくさせながら舌を痙攣させて出したり引っ込めたりしている。おまけに貧乏ゆすりまでしている。「院洗」の作業療法の白い服を着っぱなしだ。院洗とは病院内の洗濯物を処理して五時間ほどで七百円ほどの収入になる作業療法だ。
 中年のまともに受け答えできない人が前からいたが、テレビの前に座ってはまた離れて落ち着かない様子で病棟の廊下を行ったり来たりしたと思ったらまた座ってしばし口を開けてテレビを観ている。
 テレビも何も観ないで廊下を行ったり来たりしているだけの人もいる。
 看護士がたまに合間を見てワイドショーなどを観て所感を述べて世間話をしてナースステーションに去っていく。
 高齢のおばさんなども座って観ているが、所感を述べるでもない。あと、子供の頃から体型が少し変だったのではないかという感じの高齢の女性などもいる。『ゲゲゲの鬼太郎』の砂かけ婆を連想したりする。
 野球放送があっても、特にどちらを応援する様でもない。歓声が上がらない。
 明確に知的障害者と思われる五十年配の吉田さんがかえって野球の逆転などで喜んでいる。
 そこそこ若い人が二、三名くらいだけいる。幾分か親しくなるがさほど経緯を話すわけでもない。なにかホールや病室のあたりをうろうろしている。少し話を聞くと糖尿病だとか、精神疾患以外の苦労の話も多い。僕は椎間板ヘルニアで過労が酷いので精神科に入院したのが東京に戻る前の最初の入院だった。
 僕はまた朝から談話室のステレオで音楽を聴きながら本を読む。
 シューベルト弦楽四重奏曲「死と乙女」をかける。
 ブランケンブルクの『自明性の喪失』のデータを確認する。
 一九五五年から一九六七年までの間に旧西ドイツの大学病院の精神神経科に入院した四〇五名の精神分裂病の患者のうち、破瓜型が一五三名、妄想型が一六八名、緊張型が五九名、残遺状態が二五名。破瓜型のうち九名は単純型といってよい、とのことだ。
 単純型が四百分の十として二.五%、精神分裂病の発病率を一%で概算して四、五千人に一人だ。僕はどうも自分が単純型精神分裂病のような気がしている。幻覚・妄想がなく無為自閉などの症状が前面に現れる。
 珍しいことでも起こるときは起こるが、自分がどうかというのはわからない。
 山には『初期分裂病』という本も積んである。破瓜型の前駆期で単純型状態が長かったのかもしれない。
 パニック反応で錯乱のようなこともありえるか。結論は出ない。
 『分裂病の起源』という本によると平均発病年齢は男性二十八歳、女性三十三歳とのことだった。初診だと自分もこれくらいだが、十四歳くらいから「陰性症状」があった感もある。貧困でしんどい成長期でもあったので、病気のせいか判別が付かない。
 病棟は明確に身体障害者知的障害者で衰弱した人も多い。
 コーヒーの二杯目を飲む。
 有村茜がやってくる。また見詰め合う。
「茜さんていうんだよね?」
「うん」女は消え入りそうに答える。
 コーヒーをおごる。
 僕は彼女の返事に関係なく喋る。
「観察室には、この前入院したときは車椅子の女の子がいたな。君の方が若いかな。茜ちゃん、くらいでもいいのかな?」
「……」
「どうも知的障害精神障害かわからない人が多いような気がする。明確にやつれているみたいに衰弱していたら精神分裂病のようにも思うんだけど、山びこ学園にいたとか、知的障害だってはっきりわかる人もいるんだけど、あと普通の人が悪くなったのか、最初から能力が低かったのかわからないんだ」
 茜は教師を見つめるというよりは恋人を見つめるように僕を見ているようでもある。
 教師を求めているのか、父性を求めているのか、自分がどう捉えられているのかわからない。
 また、十分くらい見詰め合っている。僕は本で読んだこととこの病棟の現状の比較のような話をする。
「前入院したときは建設作業員のような人が冬休みのような感じでたくさんいた。麻雀卓二卓を囲んでわいわい賑わっていた。あのあと、あまり入院治療をしない方針になったのかな。日本の精神科病床数は世界的に見ても多すぎるくらいらしい」
 茜は悲痛そうな表情をしている。よくわからないのか、表情が動かない。口を閉じておとなしく座っている。若い部屋着の肉体の側にいて、僕はまたぽおっとなっている。
「今日は調子いいのかな?」
「……」
「まあ、リラックスして休んでいるといいよ」
 茜は不意に立ち上がって談話室を出て行く。窓から彼女を見ると水を飲みに行ったようだ。僕は立ち上がって待っている。
 茜が戻ってくると僕は彼女を抱きしめる。彼女の体が2秒間だけ柔らかくなったような気がするが、彼女は抗う。
 彼女は腕で目を擦る。涙が出てきたようだ。大失敗をしてしまった。
「ごめん」
「嫌」茜は明白にべそをかいている。「帰る」
 茜は去っていく。
 「死と乙女」は最終楽章になっている。
 本どころではなくなる。憧れのようなものとフィジカルな愛は違ったようだ。彼女をがっかりさせてしまったらしい。
 テープが終ると僕は彼女の病室の前まで行く。彼女はベッドで横になっている。
「お嬢さん、すいませんでした」僕は声をかける。
「嫌」そういって茜はやるせなさそうに身をよじる。まだ泣いているかもしれない。
 大失敗をやらかしたような気分になる。得がたい恋人になったかも知れないのに。
 午後、昼食が終ってから、父が迎えに来て「外泊」で家に戻る。病院に住んでいるような人も多いのでそういう用語になっている。父に調子がよくなってから入院することになったので、とくに必要のない入院でないかと言う。
 家でCASLアセンブラ/シミュレーターの続きを作る。CASLは情報処理技術者試験に出題される仮想コンピュータCOMETの言語だ。それをCPU80386のPC9801のC言語で走るようにする。
「会社辞めてからダウンしてたけど、寂代に帰ってきてから好調だよ。何で入院する必要があるんだろうね。ヤブ医者の考えることはわからないよ」僕は食事のときに両親に言う。
「失業保険を傷病手当に切り替えないといけない。金額は同額だけど、厄介なことになりそうな気がする。だいたい父さんがたには将来の展望とかあるのかな」実の所まったく不愉快な入院だ。
 入院費は親が出すが、そんな金があるなら東京に残って就職活動をしてもよかった。
 翌日もかけてCOMETシミュレーターはかなり動くようになる。地元にソフトウェア会社があればいいんだが。どうも僕は生活面がボトルネックのような気もする。育ったところが田舎過ぎて都会で適応できないのだ。暗い心境だから適応力も弱まる。
 午後病院に戻ると有村茜が見かけて近寄ってくる。
「何処に住んでいるの」茜の方から声をかけてくる。少し元気になったようだ。
「川北の方」
「しらない」
「九十九山の辺りから橋を越えてしばらく行くとあるよ」
「ふうん」
「実家が農家で、東京に住んでたけど帰ってきたんだ」
「高校に農業科もあった」
 T高校だろうかと思う。T高校にはあと福祉科しかない。そうすると彼女は福祉科出身か。
「三枝(さえぐさ)という苗字は市内に一軒しかないから電話帳見たら連絡取れるよ」
「ふうん……。わたし、病棟から外に出ても良いって許可下りたの。売店に一緒に行かない?」
「いいよ」
「わたしおごるから」
「いや、僕がおごるよ」
「えーと」彼女は少し困ったようだ。
「じゃあなにかおごってくれるといいよ。僕も何か買うから」
 二人で売店に行き、彼女はポテトチップスを買い、僕はシュークリームを買う。
 談話室で二人で黙々と食べる。持って帰ってきた荷物から今井美樹の"retour"のテープをかける。ステレオが旧式のもので、CDがかからない。
「この前はごめん」
「え?」彼女は少しぽわんとする。
「調子よくなってきてよかったね」

 

にほんブログ村 メンタルヘルスブログ 統合失調症へ 

にほんブログ村 小説ブログ 純文学小説へ 

f:id:kennju:20140615181411j:plain