犬儒のブログ

当事者のアマチュア文芸雑誌の編集顧問を務めています。『ノルウェイの森』の直子と同病の単純型統合失調症です。

幼児語が恥ずかしく、再び親を呼べた時には既に?(Q&Aサイトより)

 以下、Q&Aのサイトの2011年の僕の質問です。子供時代の頃の悩みの話です。

 これがなかったら、病的状態には陥らなかったかもしれないですね。 

 

 

 

幼児語が恥ずかしく、再び親を呼べた時には既に?

 

 いつも世話さまです。

 この前も似たような質問をさせていただいたのですが、生涯学習などで克服可能かとも思ったのですが、成育歴で取り返しのつかない傷を負ったかもしれず、今日あたり自棄酒でも飲んでるしかないのかなとも思いました。

 古い本なりますが、全家連編『こころの病2 家族の体験』(中央法規、平成7年)の80ページあたりに似た家族の例が載っていますが、パパ、ママという幼児語が恥ずかしくなって親を呼べなくなったのだが、代わりの言葉を与えられず、二十歳くらいで必死の努力で自ら親を呼んだときにはすでに発狂していたというような青年の例が載っています。
 ちょっと引用させていただきますと、

 

(以下引用)
 やっとレコードをまとめた透は、改まった口調で「お父上に」と仏教書を、「お母上に」とノートを、「妹さんに」とキリスト教の本を手渡した。幼児期、彼は両親をパパ、ママと呼び、思春期にはそれに替わる言葉をもたなかった。その彼の「お父上」「お母上」は芝居がかって聞えたが、本人は大まじめ。
(以上)


 分裂気質の人だと、孤立しやすく羞恥心を感じやすいというような特徴があるので、なかなかパパを父さんとかに切り替えるだけでも、大きな葛藤があって、この青年の例だと10年くらい親を呼べなかったのでしょうね。妹さんは呼び捨てかと思うのですが、その妹さんはパパ、ママと呼び続けていたというような状況でしょうか。女の子はその辺あんまり葛藤しなさそうです。ご両親も自分たちをパパ、ママ、自称し続けたのかな。

 家の方だと、特に田舎なので、周りに会わせる意味でも、とーちゃん、かーちゃんくらいでよかったと思うのですが、何かままごとのような子育て的要素もあったのでしょうか。
 僕ですが、5,6歳の時にそれまで呼び捨てにしていた一歳上の姉を「ねーちゃん」ともなんとも言葉を与えられず呼べなくなり12年間、10歳くらいから、パパ、ママが恥ずかしくなり、8年呼べませんでした。近くに行って「ねえ」とか呼びかけて分けていました。
 大学生になってから、どうしても電話で呼び分ける必要があったので、父さん、母さんとか言ったのですが、非常に勇気が要り、心拍数が上がって冷や汗が出ました。

 上の例の青年も、日々辛い思いで親を呼べない事を苦にしていたと思うのですが、母親から見ると、とんでもなく軽薄に「幼児期、彼は両親をパパ、ママと呼び、思春期にはそれに替わる言葉をもたなかった」で済ませられてしまう。僕から見ると「私たちは彼が幼児期の頃、パパ、ママと呼ばせていて、思春期にはそれに替わる言葉を与えなかった」としか認識できないんですが、10年間もそういう非常事態を見過ごしているという。

 まあ統合失調発病に「責任者はいない」という話ですので、しょうがないのかもしれませんが、僕自身もわだかまりは今なお非常に大きいです。コミュニケーション能力が発達しないだけでなく、心の傷にもなったと感じます。

 質問内容として、これから僕はどうすればいいかというの皆さんにお知恵をお借りしたいです。とりあえず思うのは、悲劇の再発防止にはつなげたいですが。
 今70代後半の両親と一戸建てで同居しています。世帯分離していて、僕は一人世帯主で家計簿は付けていて、毎月親に5万円渡しています。家事等への「人的貢献」が今一つ出来ません。土地は一千平米くらい。正確には離農する前の旧宅地の畑もあります。買うより高めになったりもする作物を作ったりしていますが、僕自身は収穫くらいにしかタッチしていません。
 自分の洗濯をやっとやっているくらいで、一昨年あたりまで豚肉料理には絡んでいたのですが、しばらく休んでいます。軽自動車と自転車に乗ります。
 格言で「立っている者は親でも使え」とありますが、まあ、何かなとは感じはします。
 もうじき天命を知る歳です。

投稿日時 - 2011-09-12 10:42:43

 

 

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