犬儒のブログ

当事者のアマチュア文芸雑誌の編集顧問を務めています。『ノルウェイの森』の直子と同病の単純型統合失調症です。

福永武彦『死の島』の日です。(昭和29年1月23日)

 前も書きましたが、『死の島』の舞台となった1月23日です。

  

犬儒のHP〜本格派「当事者」雑誌

 

に15年くらい前に書いた「福永武彦論~サナトリウム文学の遺産」ありますので、なんでしたらご参照ください。

 冒頭の方、ちょっと転載します。

 

 

 

福永との出会い

 僕が福永の作品に出会ったのは大学の頃だった。正確には高校の現代国語の参考書で短編『廃市』の一部に出合ったのが最初だろうか。九州の運河の町柳川を舞台にした水面に微妙な渋い光が反射されるような、ある種の雰囲気をもった作品だった。

 大学でもっと読んでみたいと思って探して、『草の花』あたりから読み始めた。当時キリスト教はかつての帝国主義のような流れに抗議したりしていたが、戦争を止めることは出来なかった。ただ、戦前から意識のあった人は戦争を止められなかったことを恥じて責任感を感じていたということを知った。
 現代の僕の周りにはちゃらんぽらんな宗教かぶれの人々が無責任な行動をしたりしていたが、昔からの意識の高い人がいたということは救いのように思われた。

 戦争は人が個人的に生きられることを妨げ、大きな流れの中に、人々は身を置かざるを得なかった。自分が単に宗教者だとか、芸術家だとか、そういうところに安住させない大きな流れだったろう。
 その中で福永が弱い体力を押して自覚を持った生き方をしたというのは、大きな過去の遺産ではないかと思った。

 『忘却の河』の主人公は、戦地にも行って、「革命運動」もして、結核も患ったという設定だった。これは全共闘世代などよりもっと昔の意識の高かった自覚を持った人物像だったろう。
 マルクス主義は20世紀最大の宗教だったとも言われるが、福永はそういうことにも必ずしも無関心ではなかったし、ドグマや体制への反動ではなく、社会運動や人間というものの中の理想を透徹して見つめつづけた人だったと思う。

 のちほど、年表を引用するが、福永は晩年受洗して、キリスト教徒として死を迎えた。ようやく自分自身を個人として許すことができたということかもしれない。戦争や病気や、失われた青春や大きな絶望感に対して、精神的な意味合いでの「復活」のようなものを祈ったのではなかろうか。その祈りを文学の形にしたのが最後の長編『死の島』だったような気がする。
 そういうことで、『死の島』を中心にして、福永論を展開してみたいと思います。僕も力不足ですが、よろしくお付き合いください。

 

  12位です。ホームページの掲示板ではもっとかなり駄文大量に書いています。

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