犬儒のブログ

当事者のアマチュア文芸雑誌の編集顧問を務めています。『ノルウェイの森』の直子と同病の単純型統合失調症です。

ヒロインは単純型統合失調症? 僕の『ノルウェイの森』論のご紹介。

 1987年って、何年前になるかな。上下巻合わせると1千万部を突破しているという村上春樹さんの『ノルウェイの森』ってありますけど、ヒロインの直子が京都郊外の精神科サナトリウムで療養してるんですよね。

 なんとも付かない症状ですが、僕は単純型統合失調症かとも思ってるんですけど。

 これ、

犬儒のHP〜本格派「当事者」雑誌

の目次からたどっても読めるんですけど、検索エンジンで「ノルウェイの森論」で検索しても1位くらいになっていると思います。

 執筆途中ですが、仮発表しています。

 なんとも付きませんが、統合失調症を扱った小説がベストセラーになっているのなら、僕らにも素晴らしいことだと思います。

 そこを僕がバックアップしています。(?)

 社会的にいろいろ統合失調症が認知されるといいですね。

 冒頭のところご紹介します。よろしかったら、書いてある分ご参照ください。

 

 

 

(「村上春樹著『ノルウェイの森』論~統合失調症の恋人」犬儒、より)

 

●序にかえて~ある青春

 昔、僕には統合失調症と診断されている恋人がいた。1995年頃からだったろうか。「その恋はひどくややこしい場所に僕を運び込んでいた」(第一章)だろうか?
 正確には当時の病名で緊張型精神分裂病だった。緊張型という亜種は一番重いとされるが、彼女は幻覚も妄想も皆無で、混迷の極が目立ち時折興奮の極がある程度だった。
 出会ったときは病院に居て混迷の極を示していた。ただ、そんなに極端にまったく動けなくなるとか、さほどのことはなかった。スローモーでほとんどしゃべる気力がわかず、僕の前の席に座って何かを問いかけるように僕の瞳を見つめていた。やつれていたが、透明感があり儚げな若い女性だった。彼女はどこかに行ってもまた僕の前に戻ってきて僕の瞳を見つめた。沈黙に耐えられる関係は恋の成熟を示すのかもしれないが、僕らは瞬く間にそういう状態に達していた。そういう風にして彼女は次第に回復していった。
 四年後に、必ずしもさほどではないのだが理由があって彼女に「一応」プロポーズしたことがある。お金が足りなくて結婚できにくい事はふたりとも分かっていたが、しないと彼女を傷つけてしまう可能性があったと思う。
 その時の彼女の反応を小説の一シーンに表現したことがあった。


(以下、『落日』犬儒、本格派「当事者」雑誌、2010より)
「一生付き合いたいというか、君の生活がゆとりのある生き甲斐のあるものにできるはずだと思うのだけど」
 槇子の瞳孔が僕の目線を捉えて動かなくなってきた。
「結婚してほしいんだ」
 槇子はうつむいてそれを拒絶はしなかった。心なしか瞬きしなくなったように感じられたが、茫漠と僕の瞳を捉えて固まってしまったように思われた。僕は言葉をなくした。何を言えばいいんだろう。
 槇子は正座していたが、膝を崩すわけでもなく、考え込むというよりは僕の目のさらに遠くの何かを見つめるような茫漠とした目線だった。僕は何か、美しいものを壊したくないような気持になり言葉を発することができなかった。
 彼女の憔悴したようでもある表情とまなざしは僕の心に陶酔をもたらした。何か言うべきなようにも思われたが、それよりなにかを待つべきのようにも思われた。
 どれくらい時間が経ったのだろう、僕も目線をそらさなかった。ゆうに二十分くらいの時は過ぎたように思われた。
 僕は手を差し伸べた。槇子が手を取ってくれたので抱き寄せて背中を二、三回叩いて勇気付けた。
 彼女はまだ何も言えない状態が続いていた。鏡台に向かって髪を梳かしはじめたので、少し心残りだったがその日はそれで僕は帰ることにした。
(以上転載)


 事実的な事は必ずしも明確ではないが、僕と村上春樹氏は統合失調症の恋人がいたという点で共通しているのだろうか。
 1987年といえば、僕が既に社会人だった頃だが、春樹氏がヨーロッパで書き上げたという『ノルウェイの森』が発表された。
 氏の作品に初めて出会ったのが、二十歳の頃で、その当時僕は大学教養部でくだらない留年をしてローカル放送局で報道の照明係のアルバイトをしていた頃だった。随分待機時間の長いアルバイトで2年前に発表された『風の歌を聴け』から『羊をめぐる冒険』まで放送局の「バイト部屋」で読み続けていた。
 『ノルウェイの森』の前作の『世界の終りとハードボイルド・ワンダーランド』も感銘の残る前衛性と抒情感を併せ持った作品だった。それで無論、赤と緑の上下巻、書店で見かけて早速読んでみたが、短編集『蛍・納屋を焼く』に収められた『蛍』を長編化したもののようだった。
 当時僕は統合失調症の事をよく知らなかったのだが、その当時、あるいはもっと以前から自分自身が徐々にその病に蝕まれていたのかとも回想する。人格が崩壊するというか、僕はどうも成育歴的に荷物を積み残したために人格が形成されていなかったような感覚すらあった。
 僕より一回り、12年前の主人公達の大学生活のほうがはるかに豊かに描かれていた。僕は将来的に東京で活躍しようという気持ちなど全くなく、大学も東京に所在するものは最初から避けていた。当時の入試制度で国公立大学は一校しか受けられず、私立大学に進学できる家計の状態でもなかった。入試の容易さの都合で、ぽつねんと誰も知り合いのいないような仙台市で大学生活を送っていた。
 二百数十人が住む木造の学生寮は三棟でブロック(所属サークル)があり二人部屋だったが、どうも僕は大学というより、その寮で「人格」の薫陶を得たような気さえする。
 北海道で活躍するのならば、北海道大学に進学したほうが好ましいとも思われたが、実のところ、僕自身は自分が21歳くらいで寿命で死ぬのではないかとか、そのくらいの絶望感しか持っておらず、将来どんな仕事をやろうかとか、何ら夢を持っておらず、実家が農業だった為、まあ、有利な仕事のサラリーマンにでもなるのかなどと、ほんとんど人生でサラリーマンと会話すらしたことのないような状態で漠然と思っていた程度だった。
 少年期に得られなかった物、少年期にやりたくてもできなかったことはあまりに重く、僕は決定的な違和感を持って少年期を過ごし、青春期にさしかかっていた。
 合格可能性が若干低いと思われた北海道大学理類は避け、一年の遅れも許されないと思ったためにリスクを冒すことはできなかった。
 一次試験が終わってみると、思いのほか点数がよく、国立大学医学部に入れるくらいの点数で、願書を追加して取り寄せることももうできなかったため、そのまま二次試験を受けて進学したが、キャンパスでは大きな懐疑を持ちながらぼろきれのような幻滅状態で大学で工学などの講義を受けていた。僕は何をやればいいか迷っていたとしか言えない。あるいは自分はなにかをやるべきだと思ったが、それはわからなかった。自分は何にも成れず、何も出来ないように感じていた。
 あまりにもの無頓着さのため教養部で留年したときには雑巾にもならないほどボロボロになっていた。
 講義がさっぱり分からず、一日に無駄時間が6時間もあるような体験は初めてだった。寮に帰ると気になっていた小説を読んだり思想書を読んだりしていた。それは高校の延長なんてものではなかった。
 ……時系列が滅茶苦茶な文章になっているのだが、僕はいまだに深く混乱している。僕の大学生活が1980年からで、キャンパスには学部の2年先輩でのちのノーベル賞田中耕一氏がおられた頃だった。
 当時僕にあった心情は「孤独」と「流浪」だった。
 その心情は仕事に失敗して帰郷するまで続いた。地方風の資格などもなかったため、就ける職を求めて大都市に戻ったりしたが、短期間でまた郷里に帰った。
 二十代は失われた10年間のようなものだった。ようやく青春のような思い出を作れたのは33歳の時に出会った一人の若い女性のおかげだった。「美しい思い出の為に」、彼女とのいきさつは中編小説『暁』(本格派「当事者」雑誌、2010)にまとめた。
 彼女との恋が自然消滅した頃僕はアマチュアベースで文学活動を始めた。
 「孤独」「流浪」「崩壊」はその頃ようやくセルフ・アイデンティティの回復の兆しを見せていた。

 

 

●映画『ノルウェイの森』から

 2010年、ベトナム系フランス人のトラン・アン・ユン氏の脚本・監督の元、映画化不可能とも言われていた『ノルウェイの森』が映画化され劇場公開された。一つの理由としては、春樹氏が映画が国際的な作品になることを望み、あまり日本人監督に任せたくなかったことは推測される。
 市内に映画館がない事もあり、数カ月後にDVDで観たが、京都の療養所近くの草原の茫漠さと美しさ、東京駒込の公園の美しさなどがまず印象に残った。
 キズキを失った二人の喪失感、特に直子の傷の深さが映画という時間的制約の中、印象的に描かれていた。
 何か美しい小動物のような快活さの緑(水原希子)に比して、透明な儚さのある直子(菊地凛子)が例えば歳若い喪服の未亡人の魅力のような好対照だった。
 原作の出版の頃、直子に関しては読んだ人は何の病気かはっきりわからなかったという事が多かったかもしれない。実のところ、原作を読んだ感想と映画を観た感想はたとえ「直子」が同じ台詞を言っていたとしても、かなり異なっていた。脚本は原作の台詞の千分の一程度の量のものだが、ディティールはともかくあらすじなども決定的には大きく変更されていない。
 これはユン監督が原作を読んだ際に直子が重篤な精神疾患だと解釈し、菊地に対しそういう演出をしたという事だと思う。これは春樹氏も納得したことだったのだろう。
 アンビバレントな事に、僕自身が直子にかなり似通った病気の亜種であろうかとも推測されるのだが、僕自身も原作を読んだとき、精神疾患等に対する知識や経験が足りず必ずしも読み取れなかったことではあった。僕も原作の「直子」と映画の「直子」のトーン、ニュアンスの埋めきれぬかもしれないギャップをまだ感じている。それが僕の思い込みに過ぎないとしても。
 あるいは映画は視覚的表現が加わり、疾患に関してはわかりやすくなったのだとも思われる。僕だけかもしれないが、読んだ時は惹き込まれて異様さを必ずしもさほど感じなかった。映画では直子が疾病であることはオーバーアクションなほど表現されていた。
 統合失調症(Schizophrenia、旧病名:精神分裂病)は一般の人にスケープゴート化されやすい疾患だった。社会的認知も低く、近年のインターネットなどでの言説でも「犯罪者より悪質な悪霊に憑かれたような人物」のような無知蒙昧が未だに残っているのが現状である。
 スケープゴート化というのはメジャリティーによるマイナリティーの排除と自己満足の現象であり、実のところその「虚妄」は被差別者ではなく差別者が、そして社会的になんの権力も無くルサンチマンを持った人物が、そのような思考・言説を起こしがちなのである。残念なことにそういう「虚妄」を持った人は必ずしも少数派とは限らない。
 専門医でも「十把一絡げ→戦力外通告精神分裂病)」というような診断をしていたかもしれない。例えば今日でも不可解な自殺企画をした者に対してさえ適切な病名がないかもしれない。2002年の日本での病名の変更はスキゾフレニアが「症」~「症候群」であることの宣言でもあった。実は、単一の疾病ではなさそうなのである。あるいは「(精神分裂)病」というのは都合によるカテゴライズだったことを医学界が認めたのかもしれない。世の中には立場上自分たちの過去の非を認められない人などもいる。
 例えば「病的に傲慢な隔離しておくしかない低能者」なども「精神分裂病」という診断名になっていたかもしれない。実のところ、傲慢、怠惰というような事は宗教などでは重大な罪であるが、そういう「悪人」をかつて病者に混ぜてカウントし、一般人の誤解を招いたという罪が精神科医療にあったのではなかろうか。
 そういう中、まるで救済のように、小説『ノルウェイの森』、あるいは映画は純粋に、単純型統合失調症と思しきヒロインの姿を淡々と描いている。
 精神分裂病に関して、医学者にも「人格の病」であるという言説があった。ただ実のところ、低国家予算の元でろくな診察時間もかけず、疾患の明確な区分けを怠り、人格が異常な人物を社会の有害物として統合失調患者とごた混ぜにして、精神科医が何の良心も無く病院に収容してきただけの話ではないだろうか。
 統合失調症に罹患することは悲劇である。極端な「健常者」が、たとえばそれを何か勧善懲悪のドラマの悪人が罰を受けた風に感じるとしたら、その人物は無知だとしか言えないだろう。
 今日では統合失調症は「思考の病」であるという論調が強いのだが、ステロタイプな先入観は、人が人の心を真摯に見つめさせることすら妨げ、そこにある事実さえ捻じ曲げる。そして曲がっていない当事者の心さえも捻じ曲げる。私事だが僕は昔、公共職業安定所の国家公務員に経歴の概略さえ聞かれる前に「あんた、どうせ薬飲んでるんでしょう!」などと恫喝されて追い払われたことがある。情勢や障害者雇用促進法なども十年、二十年で大きく変わってきたのだが、「みんな忙しい」、だから「貧民管理」は精神科医に任せておけ、そういう雰囲気が今も残っている。
 偏見による健常者の「虚妄」と差別があった。
 そして、夢のように美しく哀しい『ノルウェイの森』という作品がある。それはおそらく現実の虚妄よりも遥かにリアルだ。

 

 

 24位です。やー、統合失調症でベストセラーなんですけど、みんな知らないのかな?

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