家族の聴覚障害の二次障害の思考障害だったのかなあ。本ばっかり読み過ぎたかなあ?
まあ、サービス業でもなかったしなあ。
街に慣れてさえいなかったな。
なんで喋れるか不思議なくらいの親父と、片耳が聴こえず、セミ十匹分くらいの耳鳴りがするお袋だったな。
聴覚障害4級の祖母ちゃんも存命だった。
働き詰めの気の荒い農民夫婦で、まともな家庭教育とか受けたような記憶があんまりない。
親父は、「泣くなー!」とか怒鳴って泣いている子どもを殴るような人物だった。
昔のパラダイムだと、子供殴るなんて当たり前だったんだね。
親とろくな会話した記憶ないな。
国語の授業で3分間スピーチとかあったけど、ろくなこと喋れず悲惨だった。
冬でもなければ、日曜日の昼とか家にいると仕事に疲れた両親が昼寝しててな。
夜とか、両親はテレビを観呆けていた。
中学高校は小遣いが月2千円とか当たったので、エンターテイメントの文庫本とか、6,7冊買って、図書館で借りた本も含めて月10冊くらい本読んでたかなあ?
うちの親はテレビをなんも言わんで観てる人物だったな。
部屋で本読んでなあ。中3だったかな、貯金はたいて短波ラジオは買ったが。
面白い本とかなあ、探したらいくらでもあったしなあ。布団で寝っ転がって夜更かしして読んでたなあ。
学校の勉強は英語の予習しかしなかった。試験勉強もしなかった。さすがに大学入試の勉強はしたが。
うーん、大学に入ると毎朝左翼ゲリラがメガホンで放送していて、右翼が隙を見計らってビラまいてたりしていた。とにかくうるさかった。
なんか俺も左翼と右翼と異常心理学の研究とかしたかなあ? テレビを買う金とかはなかった。
大学で最初に読んだ本はエーリッヒ・フロムの『自由からの逃走』だった。なんで戦争が起こったか知りたくて。
未だにテレビを観る習慣はあんまりないなあ。本棚は母屋だけで7つある。
なんかコミュニケーション能力低いようだなー。
偏差値10くらい低い工学部で、全然勉強しないで過ごした。時間が欲しいから適当に進学しただけだったな。
会社でも会議とかろくなこと喋れなくてなあ。
27歳の時、やっと運転免許を取りに行けたんだが、仮免学科試験半年で取れずに退学になって、会社も休職した。
うーん、過労というか、心労とかだったかなあ?
なんかねー、あまりもの逆境で育ったなー。
山羊乳飲んでたっけなー。
↓21位です。俺の投資信託の話とか信頼できるよ。ギャンブラーじゃないし。