18歳の時、国立大医学部受けたらそのまま入れたくらいなんだけど、貧乏農家で金なかったなー。
まあ、今は田舎で緩い生活してるけどねえ。
最初の就職で、上場企業で研究職やってたな。大学院にも行ってなかったが、抜擢された。
孤独で酷かったって印象が残ってる。
入社3年目でやっとお金の余裕が出来たので、自動車学校行ったら仮免学科試験を半年で受からず退学。会社も休職して郷里に帰ってきた。まあ、いろいろあったんだけど。
そのあといい加減な田舎の精神科医療のせいで酷い目にあったって感じ。
うーん、中学くらいから、成績凄かったなー、って感じかなあ。全然勉強しないで定期テスト連続8回学年2番とかあったな。英語の予習だけはしていたが。
主席の生徒が血友病でなあ。彼が中2の時に死んだら、主席になったが、僕もやや体調を崩して成績は後退した。「回想14」に書いた。
全然勉強しないでずっと2番とかだったな。本ばっかり読んでいた。
そのあと、偏差値10くらい低い東北大学工学部に進学。
サークル活動とか、バイトとかしていたら、成績は全く振るわなかった。
どっちが偉いってわけじゃないんだけど、まあ、世襲の医者とかよりは僕の方が成績良かったりしたかも知らんね。
医学部って、10%くらいの学生は精神疾患とかで中退するんだって。うちの不安定な経済基盤で医学部行っても、その組になってただろうね。まあ、6年も8年も無給というのは端から考えられなかった。
工学部では、学生寮で小説とか、フランス現代思想の入門書とか、なんか大事そうかなー、とか思った本とか読んでいた。
まあ、旧制2高だし、教授は学生に媚びないで暴走して研究発表してるような感じで、講義はさっぱりわからなかった。
京都大学でも旧制3高なんだよな。明治政府が北方経営に力を入れていて、仙台に2番目の旧制高校作ったんだって。陸軍第2師団も仙台に置いたらしい。
うーん、何回も書いているけど、共通一次試験の点数は国立大学医学部とか、京大工学部のボーダーは突破していた。
親が医者とかだったら、俺の成績見て狂喜して、小遣いがんがんくれたんだろうが、高3の時でも月2千円だった。
うーん、高校の時、自分で服選んで買うような練習はしたかったなー。一番多感な時期になー。結局高校卒業まで私服で市街地を歩いた事が皆無という、悲惨な状態で大きな街に行った。
街の人とか、ファッションとか重視するからなあ。俺なんか外見だけでもう正当に評価されない感じだったな。聴覚障害者の家系で喋りも下手だし。
田舎は緩くていいよなー。超いい加減な格好で多寄町のAコープとか行ってるな。
うーん、俺の美名は日本文学史に50年くらい残る、……かどうかは知らないが、2代目編集長欲しいなあ。50代で下り坂で、編集顧問に引退したいんだよな。
それにしても、なんか、昔から内気で損をしてきたなー。「部活動なんて、金がかかるんだぞー!」みたいな実家でなあ。
なんも出来ない人材になっちゃうよね。
精神科の入院病棟も非常に酷いところだったな。IQ100以上は2,3人、あと50人くらい全部IQ100以下みたいな感じだった。治療効果なんかあるわけないじゃん。
神経ないような親父が、生命保険で儲かるからというので俺を放り込んでいた。家庭教育もろくにしてなかったのにね。
親父は中卒で、農作業とかで学校休まされたので成績も振るわず、あんまり高校にも行きたくなかったんだって。
俺がよく一代でここまで頑張ってるよなー、って感じもするかなあ。
うーん、まあ、俺より低能で、金だけはあるという人が、人口の95%以上くらいはいるのかなあ。
40代で文学活動で全国的にも芽が出た感じでよかったですよね。
早くお嫁さんもらってスイートホームにしたいなー。やっと金出来てきたかなあ。無職で結婚できたら笑いが止まらないよね。
貧乏で大損してきた人生だったな。
投信略。あんまり景気いいと、資金が海外から国内に流れるんだよな。
↓32位です。思い出しただけでも疲れるよねー。ほんとやだよねー。