犬儒のブログ

当事者のアマチュア文芸雑誌の編集顧問を務めています。『ノルウェイの森』の直子と同病の単純型統合失調症です。

「社会」~「『ノルウェイの森』論~統合失調症の恋人」より

●「社会」

(以下引用)
 いずれにせよ1968年の春から70年の春までの二年間を僕はこのうさん臭い寮で過した。どうしてそんなうさん臭いところに二年もいたのだと訊かれても答えようがない。日常生活というレベルから見れば右翼だろうが左翼だろうが、偽善だろうが偽悪だろうが、それほどたいした違いはないのだ。
(第二章 p.22)


 学生運動の真っ盛りの時期にワタナベが東京で住んでいる寮の事だが、右翼が経営しているようでもある。それに関する所感だが、例えば最近作の『1Q84』でも共産主義コミューンが突然宗教法人に宗旨替えすという箇所があった。
 単純な図式では、学生運動の空疎さに対比されるのが、阿美寮だろう。


(以下引用)
ここにいる限り私たちは他人を苦しめなくてすむし、他人から苦しめられなくてすみます。何故なら私たちはみんな自分たちが『歪んでいる』ことを知っているからです。そこが外部世界とまったく違っているところです。外の世界では多くの人は自分の歪みを意識せずに暮らしています。でも私たちのこの小さな世界では歪みこそが前提条件なのです。
(第五章 p.160)


 いささか散文的に作者の主張を代弁するとしたならば、「外」の空疎な人々に必要なのはこの「歪みの自覚」なのだろう。
 都合のいいことに、自分の歪みを意識せずに、一般企業などでそこそこうまく生きていける人がいる。
 大事なことは「協調性」だと言われる。大学生が左翼運動をやっていたら、「協調」し、企業が生産活動をやっていたら「協調」し……。
 実のところ、「日常生活」など忘れられているのである。昨今でも「社畜」になって有給休暇もろくに取らず、「協調」して仕事をしている人が多い。疑念を持たないだろうか。そういう事が真の生産性なのだろうか。何のために生きているのだろう?

 この論説の副題は「統合失調症の恋人」だったはずなのだが、話がずれたような感触を持つ方もおられると思うのだが、例えば統計では一卵性双生児の片方が発病して、もう片方も発病するという一致率が50%にも満たない。一般の兄弟姉妹で10%程度だが、一方、二卵性双生児の一致率はそれより高い。
 後天的環境とか、心理的なものが統合失調症の発病に大きな影響を持つわけである。全くの遺伝病だとしたら、一卵性双生児の一致率は100%のはずである。
 完全に後天的でないことは、親子での一致率が自然発生率より高く、15%程度あることからわかるが、到底遺伝病とは言えない。
 統合失調症の平均発病年齢は30歳程度で、企業なら主任か係長くらいになっているケースも多いだろう。日本では特異的に思春期に発病する「破瓜型」が多いともされるが、先に述べたが、昔発達障害自閉症児を「精神分裂病」の十歳未満発病として取り扱ったため、古い統計では日本では統合失調症の平均発病年齢が低くなっているのである。
 会社のために平社員として駆けずり回っている頃などに病因が蓄積されて発病ぐらいの30歳程度の発病が最も多い。

 また僕のことなのだが、田舎の読書好きの少年が、そのまま中年になったような生活をしており、田舎にいる限り、僕はこれ以上の存在ではないが、それ以下でもないのだろう。実のところ会社員としての協調性や競争意欲に欠けるが、能力が全くないというわけではない。「やりたいこと」が丁度日本の教育制度のカリキュラムと一致していたのである。私生活を楽しむほどの経済的余裕がなかったため、学校の勉強だけでも十分面白いことだったのである。実際の人間関係よりも本を読むことを好んだ。「金がかかる」という事で、中学・高校で親から部活動すらも薦められなかった。
 ……実のところ、企業などでは「使えない」人材である。
 物心ついたころ、義祖父がまだ存命で、堅い木の椅子に座って缶に血痰を吐いていた。パーキンソン病他、いろいろ患っていたようである。父は祖母の連れ子で、実の祖父は父がゼロ歳の頃、小樽港で作業中に事故死していた。祖母は聴覚障害4級で、父が言葉を喋れることからして不思議だが、大家族が教育問題を救ったのだろう。
 僕が小学2年の時、義祖父は亡くなったが、その後の5人家族中、母も片耳が聴こえずセミ十匹分くらいの耳鳴りがするという人物だった。
 父は義祖父から農地を買い上げる形で後を継ぎ、僕が高校の頃まで農協にその借金が残っていたようだ。貧困な農村でもひときわ貧しさの目立つ家だった。
 僕自身は読書家だったが、話し言葉と書き言葉が乖離しており、対話や会話から思考を組み立てた人間ではない。しかして会議などでも生産性の低い論議しかできず、「この男は本当に頭がいいのだろうか?」という疑念を上司などに感じさせるし、そういった乖離は実社会などで思考障害の誘因にもなったのだろう。初診から延々として、医師の診断書には「幻覚:無 妄想:無 思考障害:有」となっている。
 まあ、僕の話も一つのケーススタディーと考えていただきたいが、それくらい統合失調症の「発病(発症)」には後天的要因が強いのだと思う。
 実のところ直子の環境や症例と全く違う感じなのだが、それでも『ノルウェイの森』の作品論を書けないというわけではない。
 僕はここからシグナルを発信することが出来る。あらゆるところに存在する個人への社会からの軋轢の物語がここにもある。僕らは車輪の下で生きている。

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