犬儒のブログ

当事者のアマチュア文芸雑誌の編集顧問を務めています。『ノルウェイの森』の直子と同病の単純型統合失調症です。

鬱病のヒロインの作品もあり(『イエスタデイ』由名)

 週末なので、投資信託の話じゃなくて、『犬儒のHP~本格派「当事者」雑誌』の作品の紹介をします。

 由名さんは正確には当事者じゃなくて研究者の方なんですが、ある種の弱さみたいなものと、自分の弱さを客観的に把握する強さがあるような感じだろうか。

 5編お寄せいただいていますが、ヒロインたちは多かれ少なかれ、由名さんの分身とも言えるのかもしれません。

 『イエスタデイ』は鬱病のヒロインが登場します。

 興味ありましたら、

犬儒のHP〜本格派「当事者」雑誌

 の方からお読みくだされば。

 以下、冒頭の方転載。

 

 

 

 

イエスタデイ

           由名

 

 

 

「糸子、ほら、ついてるぞ」

 夫の周一が微笑みながら私の髪に手をやった。私はどきりとして、あとずさりした。周一の指はそれでもすっと伸びてきて、私の前髪の生え際に熱くふれた。

「なんだろ? ごみかな」

 私は床まで自分の息がぬけるのを感じた。周一は、

「どうしたんだ? 糸子は、変だなぁ。心配で仕事に行けないじゃないか」

 くぐもった、でも優しい声。あなたほど私を愛おしんでくれる人はいない。

「なにも、ないの。いってらっしゃい、頑張ってね。今日の晩御飯」

 と、私は言いかけて、その晩御飯を、周一も私も口にすることはないのだろうと思うと、胸に石綿が詰まったようになり、くちびるが動かなくなってしまった。

 周一はそんな私の気持ちを察することなく、あたたかく私を見下ろして言う。

「うん、なにがいい? なにが食べたい?」

「そんな、周一が食べたいものを、私が作るのよ……」

 私の声は小さくふるえ、不自然な抑揚がついていた。ふるえも抑揚も、隠さなければならないと、私は身をかたくした。

 ―私はいなくなるの、あなたのいないそのあいだに。どうか生涯の傷をここに残すことを、受け容れてなんて言わない、ただそのための時間を、あたえてほしいのよ。

 周一はなかなか家を出ようとしなかった。それでも、数回のキスのあと、ようやく玄関のドアがしずかに閉められると、私は部屋の奥にまっすぐに戻った。

 

 

 

湿った祐作さんの部屋で、いつもの激しい行為がおこなわれていた。

 性交のあとで、私はいつもさめざめと泣く子どもの私をみるような思いがしていた。それを思い切って伝えると、祐作さんは、ベッドに座って裸でたばこを吸いながら、

「どうしてなんだろ?」

「わかんない。わかんないことが、私には多すぎるわ。祐作さん、ごめんね」

「なにが? なにがごめんね、なんだい?」

「せっかく、してくれたのに……終わりが泣いてる気分だなんて」

「セックスって、死をみてるのかもしれないな」

「シ?」

「死ぬっていうことだよ。肉体的にも、精神的にもね。なにか自分が果てまでいっちゃうだろ? 果てをみつめて、ただそれだけをみつめて、果てを突き抜けるように行為するようなところがあるだろ? それが死をみることに、似てるのかもしれない。だから悲しいんだろうか」

「毎日、セックスする人は、毎日死をみてるの?」

「そうとも、そうじゃないとも言えるな。日常的営みになったセックスは、ある意味、もうセックスじゃあないよ」

「日常的営みになったセックス」

私は口に出したが、なにかわからないものを感じた。そのことばの意味がわからなかったのではけっしてない。その奥の、営みそれ自体がわからない、というもやもやした訝しい気持ちだった。

翌日の月曜日、私は教壇に立って、授業を始める前にいつもするように生徒たちの顔をざあっと見ていった。すべてが生み落とされ、おとなの一歩手前まですくすくと成長した子どもたちだった。親から、両親の性交から生み出されて。子作りのための、日常的性欲の処理のための、愛情の交換のための性交から。とたんに吐き気を覚えて、私は窓のほうを向いた。吐き気はどんどんこみ上げて、吐け、吐け、と私に命ずる。胃液が存分に口腔内にあがって一杯になったため、私は小さく礼をして、口を押さえて教室を出た。トイレに走り、洗面所で吐いた。茶色と黄色の吐瀉物を間近で見て、私は頭の隅でなにかを考えようとした。足りなかった。また、思考力が足りないのだった。

 私はすぐに教室に戻って授業を再開したが、その後も数日にわたって、両親の性交、ということについて考えつづけた。私には正直、それは気味悪いことでしかなかった。もっと言えば、罪深いことの匂いがした。それはどうしてか。

 

 

春の日だった。祐作さんと私は、日曜のジョギングや犬の散歩をする人たちの行き交う川べりで、ベンチに腰掛けて、まるで一緒に草むしりをしているかのように、訥々ととりとめなく会話を繰りひろげていた。

私は夜も寝苦しく、苦しくないときは、生きていることの実感というのか、そういうものがなく、スクリーンを通して情景を外からぼうっとながめているような心地がいつもしていた。

「眠るのが怖いのよね」

「怖い?」

「そう。怖いの。あっと眠りに落ちてしまうその瞬間が、崖から飛び降りるくらいの勇気が必要で、とても怖いの。だから眠らないように頑張ったりして、授業中はまだもつんだけど……、授業の準備とか、テストの採点とかしてるときに、突然ものすごい眠気に襲われて、どうにもならなくなるの」

「糸子さんさ、危ないよ」

「え?」

「危ない。見てていつもそう思う。危ないって言っても、どういうんだろう、でっかく開いている穴にも落ちられないような危なさなんだよ。その穴の手前で、もう転んでいるみたいなさ。俺は実は心配で、ひやひやしてるよ」

「どうしてかな」

私は指で粘土を押したかのような水の影が無数に付いては流れていく川面をながめながら、遠い自分のことを言うようにぼんやりと疑問符をつけた。向こう岸で鳩が無数にとまっていて、丸めたティッシュがたくさん落ち零れているかのように見えた。

 
 

 

夫の周一が出勤してから、私は部屋の奥へと戻り、レターケースの引き出しにしまってある薬をすべてひっくり返した。神経科からもらっていた睡眠薬抗鬱剤。足りないから、風邪薬も一箱飲んでしまうのだ。

 部屋の中のものを片付ける。私はどしゃぶりの雨をあびているような、それくらいでなければ許されないような気持ちだった。

一錠ずつ、あけて飲んでいった。貯めてあった薬を、すべて、順番に。見えない淵に近づくために、次々と錠剤を焦りながら舌の上に置き散らし、にがい水とともに胃へと流し落とそうとする私と、現に今生き生きと息づいている、そしてこれからもやわらかく息づいていくはずの私は二重になって私の心に映し出された。一錠ずつ飲んでゆく間、私は私とずっと二重映しだった。

警察や、救急車、胃洗浄をおこなう病院の処置室、そして駆けつけた周一や父母の顔が、秒ごとにばらばらに浮かび私に迫る。あるいは誰にも発見されずに死を迎える可能性も―自分が生きものとはまったく異質な鉛になってしまう瞬間を、ただひとりで通りぬけるのかもしれないと思うと、やはり恐ろしさで胸が凍った。その瞬間へと向かって駆ける私、けれども一方で今は確実に生きていて、落ち着いた肌の張りをうしなわない私、私は私と二重であるがゆえに、先走り薬を飲む私を追いかけ、滑稽に思い、哀れに思った。

 半分わけのわからない衝動からでありながら、私の心はひどくのろりとしてもいた。七十錠ほど飲んだところで、「どうやら峠を越えたようだ」というとぼけた台詞が頭に浮かんで、私は薬を飲むのをふと止めた。

私はけっして自殺したいわけではなかった。私には、この世とのいっさいの連関を、一時的にでも断ち切ることが必要だったのだ。だから大量服薬ですっかり深く、長く眠り込むことを考えたのだ。けれども、薬を次々と飲んでいって、私は、自分がいかに多くの切り離せないものとつながっていたかを、それこそ一錠ごとに知ったのだった。

この1LDKの部屋。やっと整ってきた家具。どうして人より「もの」が先に心に浮かぶのだろう。ものに人という存在がすっかり―重みをもって―入り込んでいるからだ。

周一とどうしたって籍が入っている以上、絶対に私が命を絶つわけにはいかないということ。薬を飲んだと知ったときの、周一と私と、双方の両親の衝撃と悲しみを、私は見えないところに隠してしまった。それでも、飲み込んでしまった苦しみが大波のようにのどにまで押し返されてくる。

私はまわりの人やものと、自分の側から、つながりを作ってきたのだ。結婚し、周一と一緒にひとつずつ家具を選んで買い、この部屋に移り住み、周一の両親にだって、私のほうから定期的に連絡をとって、ここまできている。

だが、その事実とともに、それを越えたところでものごとが進行してきた、そこに居て、私はほかになんのしようもなかった、という気もしていた。私は夢の中にいるより早いめぐりあわせで、戸籍の中に、生活の中に、埋め込まれてしまっていた。埋め込まれてしまってから、それにふさわしい生活感をもたなくてはいけなかったのだ。だが、今の私には、この生活にとってなにがふさわしい感覚なのか、まったくわからなくなっていた。

私は、目の前に散らかった薬の殻を、丁寧にひとところに集める。丁寧に、という所作に、それに沿った意味を込めることができなかったが、とにかく私はしっとり、ゆっくりとした手つきでそれをやった。

幸せな私であるのに、幸せをごみ箱の中に捨てるなんて、なんて釣り合わない行為だろう。

自分はどれほど半端で無責任なことをしていることだろう。薬を飲むことで、「なにか乗り越えなくてはならないもの」があるのを私は痛切に感じていた。でもそれを乗り越えようとするのが、単なる欲求だったとしたら、低劣なことだ、と私は思った。

私は欲求から、こういうことをしているのじゃない―そう思いたかった。なにか生きていることの必然から、こういう行為に入り込んでいるのだ。私は乗り越えたいのではなくて、なにか、なくてはならぬなにかに出会いたい、出会わなくてはいけないのだとも思えた。なにに?

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