前衆議院議員と一緒に働いたことがあります。(TV局)
総選挙が近づいてきましたが、1票しかないので、なんも考えないで民主党に入れるだけですね。
40票くらい動かせるなら、市会議員にでも弟子入り出来るのかもしれないのにねえ。
親父は農業とかやってたんですが、平和が大事だと思ってずっと社会党に投票していました。戦時中、小学生でした。
東北大学工学部で一般教養が足りなくて、一早く留年が決まったのですが、有朋寮という所に伝わる伝統のアルバイトで東北放送という所の報道の照明、VTR持ちのアルバイトがあったんですが、先輩の紹介で採用されました。
時給500円だったかな。
運転手雇うと人件費かかるということで、いつもタクシーで取材に行っていたのですが、いつもの構成だと、カメラマン、記者、バイト1,2名なんですが、「キャスターレポート」というのがありました。
18時のローカルニュースのキャスターをやっていた女性アナウンサーの郡和子さん(当時高橋)が週一くらいで、記者の代わりに取材に行って、テレビに出るんですね。
それで何回くらいかなあ、ふた月に一回くらいかな、一緒のタクシーで取材に行きました。
僕が楽器をやっているということで興味を持って、手の大きさ比べあった事とかありますよ。観葉植物が趣味で、当時25歳くらいの東北学院大学経済学部卒の方でした。
大学のゼミでロックグループ「ハウンドドッグ」(「フォルテシモ」とか)の大友康平さんと一緒だったらしくて、ラジオ番組でゲストに来たら喧嘩していました。(?)
2005年の郵政選挙で大逆風の中、民主党から宮城一区で出て惜敗率99%で比例で当選しました。2期やりましたが、さすがにこの前は落ちましたね。
北海道のこっちの選挙区で、佐々木隆博さんという方が、同期当選だったんですが、イベントで挨拶した帰りに、「昔、郡和子さんと一緒に仕事させていただいたことがあります」って言ったら、「奇遇だねえ、今国会で席並んでるんだわ」ということであっという間に顔覚えていただいて、士別出身の方なので、何回も福祉関係のパーティーでお会いしました。
郡さんも佐々木さんも横路グループです。
佐々木先生が代議士復活したら、僕の立場も強くなります!
まあ、なんも考えないで、民主党に一票ですね。(爆)
民主党政権下「障害者総合支援法」とか、「障害年金加算改善法」とか通ったしなあ。障害者は福祉の民主党あたりに入れるといいと思いますよ?
戦争も怖いですよねー。
28位です。ぜひ応援お願いします!